昨晩、人脈作りのために西成区民ホールで行われた集会に参加してきました。
ある政治家さんの勉強会です。
私自身は、いわゆる無党派層といわれるどこにも属さず、
自らが共感できる人に対して応援しています。
私の考えの根っこはコミュタリアンかな。
共通善を解くサンデルとかロールズの公共哲学に共感しているといえます。
共同体の最小単位でもある私たちの生活圏からボトムアップな地方自治の強化が
理想と考えています。
国家や広域行政は、その地方自治を尊重し、トップダウンではない政治を
目指してほしいと思うのですが、今や完全なトップダウン政治。
国や大企業がすべてではなく、そこに国民がそして労働者がいてはじめて
成り立っていることを忘れない政治家や企業家であってほしいのですがねぇ・・・
さて、人脈作りはうまくつながることができました。
私の調べている団体の形成段階のお話がきけそうです。
孤立死対策をしている取り組みを調べているのですが、論文や資料など
外堀ではわからないこともあり、内堀につながるキーパーソンを探しています。
かの地の人たちは、「自ら孤立であることを選んでいる人たちも多いから」
つながりを作ることが難しいと言っておられました。
なぜなのか、そのあたりが手掛かりになるのではないかな。
「孤独で生きる」「孤独に生きる」「人は孤独では生きられないのか」など
最近書籍でもいろいろ出版されたり、雑誌でも特集など組まれてはいますが、
本質は違うと思うのです。
「孤独」で生きることはできても、「孤立」しては生きにくちいことを、
しっかりと踏まえた「孤独のすすめ」であるべきなのですが、
いやに「孤独」が前に出て、これはよろしくないです。
「孤独死」を当たり前にしかねないか心配です。
「孤独死」と「孤立死」の本質は同じです。
決して「孤立死」を容認してはいけないのです。