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新聞記事より

昨日は久しぶりの雨で、傘をさすのも久しぶりでした。

12月第3火曜日開催のオカリナ同好会も今年最後のレッスン日でした。

現在は7名の方がお見えになっておられます。

みなさん、とっても熱心で、大変上手ですよ。

クリスマスも近いので、クリスマスソングを中心に演奏しました。

機会があれば、演奏してみてほしいですね。

次回ですが、年明け1月は、いろいろ予定があり、都合がつかないので、

2月が年度初めの集まりになり、2月から第4火曜日にお願いしました。

元気で楽しく続けていきたいものです。

 

さて、表題の件ですが、今朝の毎日新聞に以下の記事が載っていました。

『事故死疑い調べず「病死」』

身寄りなし患者 診断に不正 (2019年12月18日(水)毎日新聞 朝刊)

1面に概略、27面の社会欄に大きく取り上げられていました。

何を問題にしているのかというと、

・死因の確定が病死ではなく事故死ではなかったのか

・身寄りのない患者であったため、届け出をしなかったのか

・遺族の検索をおこなったのか    など

私の研究である自宅独居死亡者ではないのですが、

興味があったので、スクラップしておこうと思います。

 

概要は、ある身寄りの少ない男性が肺結核で府下の病院に入院。少し認知があったようで、入浴に見守りが必要とされていた。

死亡時の状況として、見守りがない状況で一人入浴中、

なんらかの異変があり、浴槽内で心肺停止状態で発見され、死亡に至った。

その後、肺結核と診断し、遺体搬送業者に引き渡して荼毘に付し、

共同墓地に納骨された。

 

記者がこの話を聞き、遺族を探し、話を聞いている。

遺骨は共同墓地につき特定は難しいようだ

 

さて、もしこの人に家族がいれば、どうであっただろう。

そう問いかけている記事である。

近未来、身寄りの特定がむずかしい独居高齢死亡者が増加していくのは必須である。

どうむきあうのか、いよいよ難しくなってくるだろう。

 

本来ならば、病院であっても浴槽内死亡の場合は検案すべき事例と考えられる。

大阪市内であるならば、警察から監察医事務所に依頼されていたでしょう。

要するに検視は邪魔くさかったのだろう。

身寄りもいないし、死因はなんでもいいだろうという甘さがあったのかもしれない。

でも、身寄りがあろうがなかろうが、死因はその人個人の大事なパスポートです。

そもそも浴槽内死亡は検案すべきですからね。

 

ではなぜこのようなことになったのか?

監察医制度が整備されていないから、

届け出の徹底がしにくくなっているのです。

このあたりは、法の整備も必要であるし、

死因究明制度が地方によって不公平が生じないように、制度の確立が望ましいです。

 

非常に長いブログ文章になりましたが、

このあいまいな制度について、孤立死の定義の問題も含めて、

私の研究論文に反映していきたい話題です。