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その時私は?

もう25年もたったのですね。

1995年1月17日 午前5時46分 阪神淡路大震災が発生。

たくさんの命、たくさんの建物、たくさんの生業が失われました。

今の神戸からは、想像もできないあの日の映像が、久方に映し出されています。

防災や減災の講習会でよく次のような問いかけをします。

「その時あなたはどうしていましたか?」

「どのような行動をとりましたか?」

阪神淡路大震災は、明け方だったので睡眠中の方が多く、

飛び起き、テレビをつけたが大半です。

私はというと、

まずは!!

隣りに寝ている子供たちを守ることが第1の行動だったように思います。

次にやっぱりテレビでしたね。

情報はまだあやふやで、なにか大変なことがおきたんだという印象でした。

そのあとどうしたんだろう?

コーヒーでも飲もうと、お湯を沸かしたような気がします。

なんという、馬鹿な行動でしょう。火を使うのは厳禁なのに。

 

私自身も私の周りにも被害がなかったので、記憶がだんだんあいまいになってきています。

朝になり、配偶者は出勤、タクシー乗り場で、同じ方面の人たちと分乗し

あとは歩いて職場に到着したとか。

職場である銀行の阪神地方の支店が倒壊したとか、てんやわんやであったようです。

 

子どもたちは、小学6年生と幼稚園児だったので、

学校や園があるのかどうかわからないまま、朝食を食べさせました。

大きな余震があり、テーブルの下に隠れたのは覚えています。

そのあと、学校に様子を見に行きました。(当時PTAの役員でした)

先生が1名しか到着できておらず、学校も混乱しており、

子どもたちは登校してくるし・・・結局休校に。

幼稚園からは休園のお知らせが電話で回ってきました。

 

印象に残っているのはこのぐらいで、

あとはニュースを見るぐらい、何かアクションを起こしたのかあいまいです。

おそらく大したことしなかったのでしょう。

募金活動や啓発活動に参加したのかも覚えていないありさま。

憶えているのは、頑張ろう神戸のスタジャンを着ていたことぐらいです。

まだ自分事としてとらえることもなかったから、きっと印象が薄いのです。

ボランティア意識の低さを恥じ入るばかりの記憶です。

 

この地震を契機に、日本は災害立国、列島が活動期に入ったようで、

地震や火山災害が頻発しています。

また、気候変動が大きくなり、その被害も毎年のように上書きされて行っています。

いやでも自分事として考えていかなければいけない状況となってきました。

家にいるとき、外出先、また災害の種類などを考えつつ、

「その時自分はどうする?」の自分マニュアルを作っておきたいものです。