私の読書傾向は、感染症がらみが最近中心となっている。
「新型コロナウイルスの真実」にはじまり、
「感染症パニック」
「感染症の歴史」
「ホットゾーン」
カミュの「ペスト」
また、これらか広がって、
「もやしもんと感染症屋の菌辞典」
「感染列島」
「日本沈没」
「復活の日」
そして、
「安倍政権 コロナ経済対策」の大ウソ」
ざっと見まわして、感染症や災害パニック関連本がずらっと並ぶ。
要するにミーハーな選書になっている。
そろそろ研究に舵を切りなおさないと、
私設感染症評論家になりそうです。
では、感染症を極度に怖がっているのかというと、そうでもない。
仕事柄もあるでしょうが、
フィクションとノンフィクションの区別はついていると思う。
ただ、世間ではフィクション的な部分を真に受け、
怖がりすぎな状況になっている面はどうかなって思う。
事実は事実と受け止め、ではどうすれば克服できるのか、
各々自ら考えていく必要があるのでないかな。
今テレビでは夜の街の報道をしている。
夜の街は・・・は問題ですかねぇ。
もちろん広める機会をもつ可能性は大きいのですが、
そもそも、なぜ夜の街従事者が保菌したのかが語られていない。
誰が持ち込んだのか。
市中内で潜んでいるウイルスがあるってことだよね。
夜の従事者はウイルス発生者ではないのだから。
もともとどこからを突き詰めて考えていかないと、
封じ込めはむつかしいのではないかな。
市中感染はないと断言すべきだはないですよね。
とはいえ、引きこもらなければと言っているのはなく、
誰でも感染機会はあるということ。
感染しても、死なないためにはに注力すべきかもしれませんね。
そうしていかなければ、社会生活できないよ。
正しく怖がるってことです。
怖がりすぎるリスクも大きいです。
閉じるだけではなく、恐る恐るでも開ける努力をしていきましょう。