2011年3月11日から10年
時間は過ぎても、忘れることのできない日である。
私たちは常の傍観者であったが、
やはり同期すべき問題であり、忘れたくないできごとです。
すでに、東北の方々とは縁は途切れていまいましたが、
気持ちを更新する日にしつづけようと思っている。
あの日私は、健康講座に参加するため区役所にいた。
揺れのあった時間は、車の中にいたため、地震が起こったことすら知らなかった。
講座を中座し、役所に書類をもらいに行ったところ、
役所のテレビで写す津波の映像に息をのんだ。
何が起こっているのか理解できず、映画のような場面に立ちすくしていた。
急いで家に帰ると息子がテレビをつけていた。
チャット上で、大変なことが起こったと東北に住んでいる仲間から情報が入り、
急いでテレビをつけたようだ。
映像には、ただ押し寄せる波の様子がうつされており、
涙が自然に流れてきた。
家々、畑、車を飲み込んでいく波の上を、多くの鳥たちが飛び交っていた。
人に羽があれば・・・
ただただテレビを見ることしかできず一晩があけた。
その後、私たちでもできることはないか、
そのテーマで数年前まで活動を続けてきた。
今はもう遠い昔になってしまって、
直接東北の方々とかかわることはなくなってしまったが、
忘れえないテレビの映像、そして、被災後初めて訪れた東北の町々、
ここは日本なのかと感じた衝撃をいつまでも忘れたくはないし、
忘れえない光景であった。